もしも大切な人を忘れてしまったら
もしも大切な人を忘れてしまったら…
この間、映画ファインディング・ドリーを見に行きました。
開始5分で涙腺崩壊(笑)
映画館が真っ暗でよかったです。
ドリーといえば…忘れっぽい、というか、覚えられない!覚えること、記憶することが苦手な彼女。ファインディングニモでも大活躍だった彼女ですが、今回は主人公になって戻ってきました。
誰もが親がいるのに、何故私の家族はいないんだろう?
私の家族はどこ?
ここからドリーの冒険が始まります。
そう、彼女は 自分の家族のことも忘れてしまっていたのです。
#ここからネタバレ含みます。
ドリーの両親は言いました。
どうか私たちのことを忘れないでね…と。
幼いドリーが両親とはぐれてしまったとき、「パパとママとはぐれたの」と他の魚に助けを求めます。
でもはぐれてしまった場所を忘れてしまい、他の魚たちはどうすることもできません。
でも諦めず、ドリーは他の魚に助けを求めます。それは小さな魚から、大人になり、ニモを探すマーリンと出会うまでつづきました。
それまでドリーは広い海を何年もただ、ひとりぼっちで生きてきたのです。想像以上の孤独なのに、その孤独さえも忘れてしまうドリー。
忘れてしまうことは、幸運なのか不幸なのか。
そして 次第に『パパとママとはぐれてしまったの』は、『誰かとはぐれてしまったとの』になり、ついには誰かさえも何をしていたのかも忘れてしまい、『何かを探してる気がするの』に変わっていきます。
ドリー自身は、忘れてしまいたくなくても
頭が勝手に忘れてしまう。
それはずっとそうだったようで、、、
私って忘れてしまってダメねという幼いドリーに、両親はいいんだよっと抱き締めます。
そして、ドリーが覚えたとき、共に喜びます。
この親だから、ドリーは明るく育ったんだなと思いました。 包み込むような優しい両親だから。前向きなんだろうなって。
忘れてしまうけど、底抜けに明るいドリー。
それはきっと両親も底抜けに明るかったのではないでしょうか。
だからドリーは愛されてて、忘れてしまうからこそ今を生きてきたのだと思います。
結果みんなが協力してくれて、ドリーは無事故郷にいけます。でも故郷で自分の家にたどり着いたとき、家はもぬけの殻でした。
他の魚に聞くと、何年も前にドリーの両親は死んだと言われます。だから、いないんだよと…。
これを聞いたとき、涙がとまらなくて。
なんてことだと、思いました。
ドリーはそんなに時が経っていることさえも忘れて、気づいたら一人大人になっていて。親の死に目にも会えないなんて。可哀想を通り越して辛すぎます。
でもたとえ忘れてしまっても、体は覚えてて、結果忘れてなかったことがドリーとドリーの両親を結びつけます。
ドリーの両親も諦めずにらドリーをずっと待ってたんですね。
このドリーの諦めないところは、両親譲りかもしれません。
パパ、ママ忘れてごめんなさい、とドリー。
忘れてなかったじゃないと、両親はまたあの頃のようにドリーを抱き締めます。
忘れてしまっても思い出せばいい。
ほらあなたはちゃんと思い出せたじゃないと。
辛いことも悲しいことも忘れてしまえたら、と私はたまに思ってしまいます。
でもそれは同時に、喜びも楽しみも忘れてしまい、思い出を思い出すこともできなくなったとき。
他の人と思い出の共有がでなくなったとき。人は本当に孤独になるのではないかと思いました。
でも、もしドリーが両親に会えなくても、彼女は孤独ではありません。彼女を家族だと思っている二匹がいるのですから。
でも、心に引っ掛かる何かがあるたび、何度も忘れて何度も両親を探そうとし、そして思い出すんだと思います。自分の後悔を。
だから、ドリーが両親に会えたとき凄く嬉しかったのです。アニメだし、作り話だけど。凄く凄く嬉しかったのです。私もいつの間にか、ドリーの魅力にやられてしまった一人なのかもしれません。